ひとつ前にあげたジャパンオープン無観客問題についての記事では、主にテニスファンのSNS上での反応について私が思ったことを書きました。ざっくりまとめると“テニスファンはもう少し他人の立場というものを考えましょう”という話だったのですが、あとで自分で読み返してみると同じテニスファンに対して辛辣なことを書き過ぎたかも、とちょっと反省したりもしています。
今回はもう少しテニスファン側にも寄り添った形での文章を書きたいと思います。
まずそもそもの問題として、今回の事態に怒っている人たちは何にそんなに怒っているのでしょうか。試合を観に行っているのに観られる試合数を減らされているのだから怒るのは当然だという声が聞こえてきそうですが、一介のテニスファンの肌感としてはそこじゃないような気がしています。
例年有明でテニスを観ていると、全てのお客さんがその日の最後のカードまで試合を観ているわけではないことに気付きます。一見もったいない気がしますが、私はこの気持ちがわかります。テニス観戦はかなり体力が要る行為です。11時に始まった試合からその日の最後のカードまで観ようとすると10時間以上会場にいることになりますが、そんなに集中して試合を観続けることは出来ません。正直言ってそんなに多くのテニスファンが「21時以降の試合が観られること」や「1日あたりたくさんの試合数が観られること」を切望しているとは思えません。
多くのテニスファンが怒っているのは「観たい選手の試合が観られる可能性を減らされた」という部分なのではないかと思います。
テニス観戦において観たい選手の試合が観られるかどうかというのは多分に運の要素が強いです。自分が観戦に行く日にその選手の試合が組まれるかわかりませんし、2回戦以降の試合を観に行く場合は、前のラウンドでその選手が負けてしまったら当然観れません。1回戦の全ての試合を観に行けるのなら話は別ですが、4日間(ダブルスなら3日間)に渡って行われる1回戦の全てを観に行けるのは経済的にも時間的にも余裕のある限られたごく一部の人だけです。
テニスファンにとってはチケットを購入する段階からある種のギャンブルが始まっているということなのです。だからこそ、観戦の前日にオーダー・オブ・プレーを確認して観たい選手の試合が組まれていたときの嬉しさは格別です。
それだけに今回の大会側からの通達は、ギャンブルに勝って観たい選手の試合が観られる権利を手に入れてもそれを取り消される可能性があることを意味しています。観たい選手の試合が観られる日程を引き当てるだけでも難関なのに、さらにもうひとつハードルが加わっているのだから怒る気持ちもわかりますし、一介のテニスファンとして私もがっかりはしています。
ただ昨年のジャパンオープンのデータと大会側からの説明を基に実際に無観客の試合になってしまうリスクを検証してみると、そんなに悲観的にならなくても良いのではないか、というのが今回の記事の要旨です。
ATPは昨年のジャパンオープンのスタッツを公開しているので、そのデータを基に昨年のシングルス本戦で行われた試合の試合時間の平均を求めてみました。32ドローのジャパンオープンではシングルス本戦は31試合あることになりますが、このうち2試合は試合途中の棄権で終わってしまっているので、この2試合を除く29試合のデータで計算をしています。
結果、平均は113.5862分=約1時間53分でした。平均からのばらつきの指標である標準偏差は35.49115分となっています。つまり1時間18分~2時間28分の間に大抵の試合が収まるということになります。参考までに具体的な数字を出すと今回計測の対象にした29試合中20試合はこの枠に収まっています。とはいえ枠自体の幅があるので、試合にかかる時間が読みにくいものであることは変わりません。
ちなみに個別のデータに着目すると最も試合時間が短かったのは1回戦のポールvsアナルディ、2回戦の西岡vsルーネ、同じく2回戦のアンベールvsナカシマの3試合で、いずれも1時間8分。一方、最も試合時間が長かったのは1回戦の西岡vsオジェアリアシムの試合で3時間12分かかっています。
さて、これらのデータと大会側からの説明を基に、実際に無観客の試合になるかを考えてみたいと思います。
アザーコートのデイセッションに関しては11時開始で、各コートでの上限が4試合とのこと。つまり21時までの10時間で4試合こなせるかが問題になるわけですが、先ほどの計算で出した平均の上振れである2時間28分の試合が4試合続いたとすると、試合だけで9時間52分かかることになります。実際にはここに試合間の準備の時間が加わるので若干足が出る可能性がありますが、上振れの数字で計算してもその程度ですから、21時を超えてしまうことを極端に恐れなければならないわけではないと思います。
センターコートのナイトセッションも同様で、16時開始からの5時間の猶予のなかで2試合収めることになるわけですが、こちらも平均の上振れである2時間28分の試合が2試合続いた場合には、試合間の準備の時間も含めると若干足が出てしまう可能性があります。とはいえ前述の通りこれは上振れた場合のことなので、極端に心配する必要はないのではないかと思います。
問題となるのは昨年の西岡vsオジェアリアシム戦のような外れ値的な長さの試合が間に入ってしまった場合です。例えばナイトセッションの第1試合が3時間超えの試合となり、第2試合の開始が7時半とかになってしまった場合、21時までに試合を終えられるかどうかは微妙なところになります。
恐らくですが、こうなった場合も第2試合を最後まで観客有で行うのではないかと私は思っています。
まず大前提として試合の途中で試合を止めて観客を退場させるといことは絶対に無いはずです。それをやるとなると観客を退場させるために試合を止めなくてはいけなくなってしまいます。試合の流れを断ち切ってしまうことになりますし、試合が止まっている間選手の身体が冷えることになるので、さすがにそれはやるはずがありません。
実は大会側の説明において、21時以降に「絶対に」観客を入れないとは書いていません。あくまで“試合進行状況に応じて、21時以降に行われる試合は無観客で開催される可能性がございます。”のような含みのある文言になっています。裏を返すと21時以降に行われる試合に観客が入る可能性もあるということです。
これは騒音被害を訴えてきた近隣住民に対する説明でも同じようになっていると思われます。別に抜け道を作ろうとしているわけではなくて、テニスというスポーツの特性上21時に絶対に試合が終わることは確約できないからです。観客に対する大会側の説明と表裏一体に、住民側には“試合の進行として21時までに終わるように努めるけれど、進行によっては21時以降にも観客がいる場合がある”という説明になっているのではないかと思います。そうでないと大会側が観客と住民に同じ説明をしていることにならないからです。
恐らく21時までの終了が見込まれると大会側が判断して観客有で始まった試合については、21時を過ぎても観客有のままで最後まで進行するというのが今回の運営なのではないかと思います。SNS上の意見を眺めていると“何時まで会場にいられるのかはっきりして欲しい”といった意見も散見されますが、ここはある程度大会側が住民との交渉で、裁量について幅を持たせることが出来た部分な気がするので、あまり厳密にしてしまうと却って観客側の首が締まることになると思います。
まとめると昨年の試合時間のデータを基に考えれば全ての試合を21時までに終わらせられる可能性が高いスケジュールになっており、かつ絶対に21時以降に観戦できないというわけではないと思われる、というのが私の意見です。もっとも3時間超えの試合が連発されたり、降雨による中断があったりなどの不測の事態は起こりえますが、現状の情報の限りではそこまで悲観しなくても良いのではないかと思います。
今回無観客試合になるリスクが生じてしまったのは確かに残念ですが、近隣の住民の方から騒音被害の訴えが出ている以上、何らかの変更は必要です。その「落とし所」としては観戦に対する打撃も少ないことが予想されて、妥当なところなのではないかと思います。